シンド・フジができるまで8 病気編

桜が美しく舞い散る26歳の春、私は二人目の、ふっくらとした可愛い女の子を産みました。

 

長男の頃から時は流れ、芸能人が結婚して子供を産んでも仕事を続ける事が珍しくなくなり、私を取り巻く環境もガラリと変わりました。

「ママでモデルなんてかっこいい」

数年前とは真逆の事を言われて、戸惑い半分、けれど随分と仕事もやりやすくなりました。

桃色の娘の頬を撫でながら思う、「頑張ってよかった」と。

 

 

娘は4ヶ月にもなると夜はまとめて寝てくれるようになったので、育児も少し楽になりました。

そんな頃、病は急にやってきました。

 

夜中にふと目が覚め、見上げた天井が不思議とグニュ~っと歪んで見えました。

見ていると段々気持ち悪くなり、目をギュッとつぶって無理やり眠りました。

そして翌朝、今度は起きた瞬間から激しいめまいに襲われました。

頭をわずかに上げたところで耐えきれず、嘔吐しました。

 

めまいは止まらず、吐き切って生唾しか出ない状態でも吐き続け、歩行も困難に抱えられて病院へ行きました。

そして診断されたのは、

「メニエール病」

初めて耳にした病名でした。

 

メニエール病とは、激しい回転性のめまいと難聴、耳鳴り、耳閉感の四症状が同時に重なる症状を繰り返す内耳の疾患とのこと。

厚生労働省の特定症患に指定されている難病で、原因は不明ですが、ストレスが強く相関しているのだと聞きました。

 

昨日まで、いや、眠りに就くその瞬間まで何の前兆もなくピンピンしていたのに・・・。

私のメニエール病の症状は例えるなら24時間ずっと船酔い(しかもかなり大嵐のなかの航海です)、時々少しマシの車酔いといった感じでした。

そして残念なことにこの病気の根本的な治療法は当時は見つかっていませんでした。

ただ発作時にその症状を緩和させるための薬物による対症療法だけでした。

私にはその薬すらちっとも効きませんでした。

 

その日から家事や育児はおろか、立ち上がることも出来ない完全な寝たきり生活になりました。

田舎に帰り、しばらく療養しました。

吐いてばかりで何も食べれず、見る間に痩せ細っていきました。

当時5歳の息子は、私を気遣ってとても利口に過ごしていました。発作が起きると真っ先に洗面器をもって駆けつけて背中をさすってくれました。

娘はまだ寝てばかりの赤ちゃんだったので、泣けば何とか身体を起こしてオムツ換え、その後自分も横になりながら授乳し、再び寝かせることが出来ました。

寝ても覚めても襲うめまいと吐き気。吐いても吐いても良くならない気分。そして家族のために何もできないどころか迷惑をかけている自分の不甲斐なさ・・・。

 

「死にたい」

何度も思いました。死ねばこの気持ち悪さが止められる。

決して死ぬような病気ではありませんが、気持ちが死に近づく病でした。

 

けれど、ふと横を見るとすやすや眠る娘の顔。こんな状態でも私はおっぱいを与えることによってこの子の命を繋いでいるのです。

私はその瞬間この娘から必要とされていると実感できました。

幼少期ずっと孤独だった私は、大人になってからは頑張って努力することでしか必要とされる価値のない人間だと思ってしまう節がありました。

どんなに辛くても無理に笑って無理に頑張って・・

「愛されたい」

たったひとつの願いのために・・・。

 

それから2ヶ月ほど経つと、車酔い程度まで回復しました。

とはいっても一日に何度かは発作が突然襲うので、家事は休み休み出来ましたが、怖くて外出は出来ませんでした。

ネットで何十年も患っている人も多いと知って、私も一生このままなのかなと落胆する日もありました。

けれどある時ふと思い立ち、またちょうど自宅から3分ほどの距離に鍼灸院があったので、フラフラと尋ねてみたのです。

鍼は血行を促進し、体内の「気」のバランスを整える事で、身体に起きているアンバランスを整えるそうです。

それは運命の導きだったのでしょうか。

鍼に通うごとにほんの少しづつ回復していきました。

調子が良くなったと思って張り切ると、疲れてぶり返し、完治するまでには2年近くかかりましたが、とっても元気になりました。

後遺症で右耳の聴力は少し悪いままです。それは一生治らないと言われています。

 

それでも私は病気を通じて日々健康に過ごせている当たり前が、決して当たり前ではなく、とても有難い事なのだと気が付けたので、よしと思っています。

しかも、この病気から鍼灸院を訪ねた事が、のちに10年ほどたって起業のきっかけとなったのだから、人生何があるかわかりません。

 

その話は後ほど・・・。