シンド・フジができるまで6 短大生編

高校を卒業すると、私はついに田舎を脱出し、大阪へと出ていきました。

大阪成蹊女子短期大学・英文コミュニケーション学科に進学しました。

 

モデルになりたいのに進学?

これには理由があります。

 

高校時代には、いくつかオーディションへ応募したのですが、どれも全滅でした。

しかしある日電話をたまたま私がとった時、「今日のリハーサル来られてませんでしたけど、どうかされましたか?」と言われました。

その時すべてを悟りました、母が全て捨てたり隠していたのです。きっと不合格通知ばかりだったとは思いますが、中には合格もあったかもしれない。

華やかな世界への偏見、それが母の場合、さらに良からぬ妄想が膨らんで、何が何でも娘にはそんな世界へ入れまいと必死だったのかと思います。

そんな母に私は反発しました。しかし末っ子のしたたかさで、衝突をさけて進学するという姑息な手段を取りました。

 

卒業式が終わると、すぐに荷物をまとめて引っ越しです。

 

幼い頃からずっと一緒で、慰めの存在だった愛犬メグがその頃老衰化が激しかったのが唯一の心残りでしたが、そんな事も引っ越して一日もするとすっかり忘れてしまいました。

私は恥ずかしながら18歳にして初めて、地下鉄や、吉野家の牛丼、じゃんカラやTSUTAYAを知りました。そして飲み会やクラブも、何もかもが初めてで興奮しました。

だけど私は外で遊ぶより、自分の小さなマンションの一室で過ごす時間が一番好きでした。

たった7帖のワンルーム。そこには初めて手に入れた、誰からも干渉されない、本当の自由。自分だけの自由な世界が詰まっていました。

 

しかし2年間なんてあっという間です。

 

私はみんなが就活するなかで、ひとりモデル事務所を捜し歩きました。

今のようにネットで簡単に検索できません。

怪しいグラビアモデル事務所に入りかけたり、やたらレッスン代の高い事務所に入りかけたりと、大阪でモデル事務所を探すのは案外苦労しました。

ようやくイメージ通りのモデル事務所にたどり着き、合格し、レッスンを受け、

短大卒業と同時にモデルデビューが決まりました。

 

すべてが順調に思えました。すべてが・・・

 

 

 

(メグは私が都会で浮かれているうちに、ひっそりと息を引き取りました。

死に目に帰ってあげられなくて、ごめんね。)