シンド・フジができるまで4 中学生編

中学校に上がると、いじめは少しマシになりました。

それは、中学校が隣の村との合併だったからです。

半分はもともと同じ小学校出身、半分はこれまでの私の家庭環境やいじめを知らない隣村小学校出身の生徒で成り立っていたので、単純にいじめる子は半分になりました。

そんな中学校は小学校よりさらに遠く、スクールバスで通いました。

バス停まで自転車で行くことが許されたので、体力的には楽になりましたが、私は毎朝ギリギリに出るものだから、琵琶湖の対岸からぐるりとバスがバス停へ到着するのを、目で追いながらペダルを必死で漕いでいました。
それにしても毎朝夕見る琵琶湖は、いつも違う顔をしていました。

春は穏やかに、夏ははじけて、秋は淋しく、冬は厳か。

都会から来た少女は、自然が創り出す四季折々の湖に目を奪われては、しばし立ち止まっては、バスに乗り遅れたものです。

家は相変わらずでしたが、中学では美術部に入り、勉強は中の下、少数の友達もでき、望んでいた「目立たない普通の女の子」になれていたのではないかと思います。

そして、そんな私をずっと支えてくれたのは、「本」でした。

「くまのパディントン」や「おちゃめなふたご」「 赤 毛 の ア ン」 や「 風 と 共 に 去 り ぬ」 など、長く続くシリーズものが大好きでした。

シリーズが最終章に近づくと終わってしまうのが悲しくて、わざと読むのを止めたり、違う本も読み始め、次に夢中になれる本を確保してから読んだりしました。

芥川龍之介や 太宰治、三浦綾子に、トルストイ やドストエフスキー…中学生にしては渋い読み物は、父の書庫から拝借して読みました。

名作といわれる作品の数々を、感受性豊かな思春期に沢山読めた事が、大人になって 私の財産となったと思います。

とくに成功者と呼ばれ華やかに見える人物にも、幼少の頃や下積み時代には大変な苦労があったという内容の本には、おおいに勇気づけられました。

「この辛い日々も自分がいつか成功した暁には、きっと誇りに思える日が来る」などと生意気に思ったりもしました。

 

そうでも思わなきゃ…

 

私は大人になってからも多くの辛い事に遭遇しましたが、この小中学校の頃が一番辛かったと今でも思います。

それは人は悲しい出来事があるとそれを覚え、学び、成長していくものであり、経験を積めばそれだけ強くなれます。

 

しかし生まれて数年しかたっていない子供には、そんな免疫などあるはずもなく、

真っ白で無抵抗な心には、ズカズカとナイフはよく刺さるのでした。

 

 

 

湖北の冬は、寒くて、厳 し い。

 

どこまでも降り積もる雪の中 、借りた本をぎゅっと胸に抱きしめ、黙々と独り歩いたあの道を、 私は一生忘れない。

 

(結婚を機に本は全部処分してしまったのですが、この2作品だけはどうしても捨てられませんでした。存在自体が心の支えでした。今でも時々ページをめくります。)