シンド・フジができるまで2 幼少期~小学低学年編

前回、箕面に住んでいたころはごく普通の家庭だったと書きましたが、

私が幼かったからわからなかっただけで、大人になって姉に聞くところによると、結構大変だったようです。

まず父親が画家になると言って会社を辞めたそうです。

個展など開いていましたが、画家として成功するには道は険しい。母の収入だけでは家のローンに子供3人養うには足りず、トラック運転手などアルバイトをしていたようです。

母は美人で聡明、PTAの役員や障害者施設でボランティアなどをしたりと大変社交的でしたが、その一方で何か精神的に追い詰められていたのでしょうか、新興宗教にハマっていました。

姉と兄は有名私立幼稚園へ通い、家でも厳しく躾けられたそうです。

(私だけは近所の小さな教会幼稚園に入れられ、野放しで育てられましたw)

それでも毎晩食後はみんなで犬散歩に出かけたり、週末は外食や銭湯へと、家族団らんの時間も多く、楽しい思い出がいっぱいでした。

 

そんな一家はある夏休み、信州へキャンプに出掛けました。

信州でテントを立てて一晩過ごすと、思いのほか寒い!という事で予定を変更。

南下して滋賀県の琵琶湖へ行くことになりました。

湖北の湖水浴場で2,3泊したように記憶しています。

私たちが楽しく琵琶湖で泳いでいる間、父は湖水浴場のおじいさん(経営者)と何やら話し込んでいる様子でしたが・・・

 

その年の冬、私たち一家は箕面の家を売り、滋賀県・伊香郡西浅井町(現在は近隣6町と合併し長浜市となる)に移り住みました。

私は小学1年、兄は3年、姉は6年生でした。あの時信州が寒くなければ、縁もゆかりもないこの村に越すことはなかったでしょう。

200坪の土地に建てた新居は、トイレは汲み取り式、お風呂は薪で焚く、目の前琵琶湖、裏は山。何よりも集落より1キロも離れた場所に一軒だけという、「大草原の小さな家」を彷彿とさせるザ・田舎っぷりです。

小学校は歩いて50分もかかりました。豪雪地帯だったので、冬はその倍の時間がかかりました。

都会からきた転校生は、はじめは人気者でした。みんな優しく声をかけてくれました。

ところがいつの頃からか、いじめられるようになりました。

 

(現在愛媛県に住む父親が、つい最近得意げに「子供のいじめってのはなぁ、まずは親から始まるんだ。親がどこか変わっていて、それを親同士が話しているのを子供が聞いて、今度は子供同士であいつの親はおかしいって風に広がるんだ」と言っていました。

・・・お父さん、私それ、身をもって知ってる。思わず苦笑いしたものです。)

 

小さな集落で、母はキリスト教の普及活動を始めました。

学校の帰り道に母が教会の人たちと聖書を配っているのを見た時は、穴があったら入りたいと心底思いました。

集団登校で一緒だったAちゃんは、みんなの前で「私のお母さんがまりこちゃんのお母さんはおかしいから、一緒に遊んじゃダメって言われた」と言い放ちました。

 

私は“クリスチャンはいつの時代も迫害される”を幼くして実感しました。

マタイによる福音書第5章11-12節にこう記されてあります。

「わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」

教会幼稚園を卒園し、滋賀に引っ越してからも毎週日曜日は福井県の教会まで連れていかれていた私は、その頃自然と聖書の言葉が浸透していたと思います。

それでも、どうしてもその状況を喜んだり、幸いだと思う事は出来ませんでした。

 

母を恥じ、自分を恥じました。

神様を信じるどころか、恨みました。

 

「今日一日どうか目立ちませんように」

毎日そう願って、何とか一日をやり過ごしていたと覚えています。

 

ところが、この後、学校以上に家が辛くなるのです。

(農道を通った帰り道、自然の美しさには幾分心が癒されました)

続く