シンド・フジができるまで1 誕生編

温活ショップ・SHINDO FUJIをいつもご愛顧いただきありがとうございます。

おかげさまでもうすぐ創立から2年になります。

 

ここで少し、私がこの会社を立ち上げた経緯をお話したいと思います。

私が温活と出会ったのは11年前、病気をしたのがきっかけでした。

なのでそこからお話をしようかと思いましたが、

起業して度々感じたのは、温活をライフスタイルに取り入れるそれ以前の生活があったからそこに至り、私がこれまで生きてきた道すべてがここに繋がっていたのだという事です。

例えば温活には食生活がとても重要なポイントになりますが、私の食生活のベースを作ったのは子供の頃の環境です。

極端に言えば、今私がモデルをしたり会社を作ったりしているのは、生まれたとき時から、いや親の時代から(もっと言えば先祖の代からかも)影響しているのではないかと思います。

 

前書きが長くなりましたが、

そういうわけで会社を作った経緯を、長くなりそうですが、生まれた時からお話ししようと思います。

ご興味のない方は、どうぞ飛ばしてくださいね。

 

 

1980年2月18日、大阪・庄内で私は生まれました。

母親は当時ピアノの先生でした。

町のピアノ教室の先生ではなく、音大受験生を専門に教える、かなりスパルタな教師だったと聞きます。

私を産む2時間前までレッスンをしていたそうです。

おかげで私はクラシックを勉強したことはありませんが、耳が憶え、身体に染み付いています。

 

それから出産3週間後、箕面へ引っ越しをしました。

父親は当時三井物産に勤め、6歳上の姉と2歳上の兄、雑種犬が一匹、

一見ごく普通の家庭でした。

 

ひとつだけ違っていたのは、母親が少しおかしいと子供ながら感じた点です。

 

その頃の忘れられないエピソードがあります。

母はある日、私たち兄弟3人を正座させ、神妙な面持ちでこう言いました。

「あなたたちよく聞きなさい、今日この世が終わります」

ええ?どういう事?今日私死んじゃうの?

4,5歳だった私は心の中でパニックです。

そして母はこう続けました。

「でも安心して、この世が滅びる前に神様が一瞬で救ってくださるから、覚悟だけしておきなさい」

兄弟三人は相談するでもなく、ただただ黙って解散しました。

私は5歳にして死を間近に感じ、途方に暮れ、泣きじゃくるしかできませんでした。

ところが次の日は普通にやってきました。

母親は何のフォローもなし。

そんな母に聞く勇気もなく、とりあえず生き延びたことに胸をなでおろしました。

 

 

現在母は他界していますが、時々夢に出てきます。

大抵の夢は、母が生き返り普通の顔して私の前に現れるのです。

そんな事はありえないのですが、私は目が覚めると、夢だった事に逆に驚きます。

あの母だったら現実に起こりうると、信じさせてしまうほどの強烈な人だったのです。

 

箕面での生活は、多少母親が変で、父親との喧嘩が時々警察を呼ぶレベルだったくらいで、まだまだ幸せだったと思います。

そんな暮らしが小学1年から激変します。

 

 

(時代を感じるこの写真・・・丈夫で育てやすい子でした)

続く